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福沢諭吉の精神に学ぶ

     ~ 心に残る「諭吉先生」の言葉と行動 ~

 ●  15 歳の頃「喜怒色に現さず」という言葉を知り、それを人生のモットーにしようと 決意する。それ以来、怒って、人の体に触れたことはない。

 ● 適塾で、腸チフスにかかったとき、洪庵先生の「お前の病気は診てやるけど、薬の処方は出来ぬ」という言葉を受けて、私は、真実、緒方の家の者のように思い、 思わずにはおられませんでした。

 ● 私は人に頼み事をしたことはありません。ただいちど、一文無しで中津から大阪に戻ったとき、洪庵先生に正直に打ち明けて、先生の食客にして頂きました。 それ一度きりです。

 ● 鄙事多能(ひじたのう)。つまらぬ仕事を上手に仕上げること。少年の頃、 畳の表替えとか、障子貼りなどを内職にした。あんまも名人。

 ● 「何のために苦学するか、説明できない。ただ難しければ面白い」苦中有楽。苦即薬。

 ● 「物もらい」をしたこともあります。長崎遊学中、節分の日に、友達がほら貝を借りてきて吹かせて、自分はでたらめの経を大声で唱えて、お金やらお米をたくさん頂きました。

 ● 中津から大阪へ出るときの母さんの言葉。「お前もよそに出て死ぬかもしれないが、死に生きのことはいっさい言うことなし。どこへでも出ていきなさい」

    本塾の理念は「半学半教」「挨拶」「お掃除」の三つです。
この一番目に取り上げている「半学半教」という思想は福沢諭吉翁が設立した慶応義塾大学(現在)の基本になっていますが、本塾もこれにならって、会員が互いに学び、互いに教え、更に実践することで人格を高めると共に少しでも社会に役立つ行動を通じて充実した人生を送ることを目指しています。
  しかし、福沢諭吉翁についての理解は会員の中でも十分ではありません。“福沢諭吉とはどういう方ですか”と聞かれても「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という『学問のすゝめ』の冒頭にある言葉を紹介し、簡単な生い立ちを語れるくらいです。これでは福沢諭吉翁のことを十分理解できているとは言えません。 
 福沢諭吉はこの言葉の後に「されども、世の中には愚者がたくさんいる。では、賢者と愚者の違いはどこにあるのか?それは学問を身につけているかどうかである。・・・・・」と述べています。
 福沢翁の言葉の裏には彼の生い立ちやさまざまな体験があり、これらを学ぶことで福沢諭吉翁の理解が深まるのではないかと思います。
そのため本塾では、会員が個々に書物を紐解いて個別に学習するだけではなく、福沢諭吉翁について造詣の深い方にお越しいただいてお話をお聞したり、諭吉翁の言葉を引用して順番に所感を述べるというような活動を続けています。
 今後、これらを順次紹介していく予定です。(細川三郎)

福澤諭吉先生の言葉からはいろいろな解釈ができると思われます。まだまだ学びの通過点である当会会員の一員として
こんな気づきがあった、こんな考えもできるのでは、という思いを綴らせていただきます。皆様の生活の言葉の出会いと
気づきがあれば幸いに思います。K.A

1 『世人またこの教えを誤解して、学者は学者、医者は医者、少しくその業を異にすれば相近づくことなし』

  自分の考えと違う者、職業の違う者とは互いに交わることはできないという 論語の教えを背景にした言葉である。
   人生の素晴らしいことは、出会うことである。一人では何もできないし、一人が学んでもそのままでは、社会に貢献する
   ことはなく、また自分自身発展がない。自分とは違う者とは、者だけではなく、物(考え)にもあるのではないか。
   出会いによって人は、気づかされ、そして成長する。同じものと群れるだけではなく、異種のものも受け入れると
   相互に勉強でき、そして、お互いが発展すると最近感じております。

 
  日本史上最大の教養人福沢諭吉  
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
これは『学問のすゝめ』の冒頭にある有名な言葉です。
その部分だけを見て、「福沢は人間の平等を説いたのだ」と言う人がいます。
しかし、福沢は単純な理想主義者ではありません。
福沢はその後に「されども」と続けている。
されども、世の中には愚者がたくさんいる。
では、賢者と愚者の違いはどこにあるのか?
それは学問を身につけているかどうかである。
ここで「学問」というのは、ただ難しい字を知り、難しい文章を読むようなものではありません。もっと、現実に即したもの、世の中に対する姿勢といったものです。
きちんとしたものとそうでないものを区別すること。
これは「教養」と呼べるようなものです。
そして、真の教養は真の教養人から学ぶしかありません。
だとしたら、わが国最高峰の教養人福沢諭吉に学ばないという法はない。
     
 
人生について
 
  他人を見下さない  

「心事高尚にして働きに乏しき者は、人に厭われて孤立することあり」と福沢は言う。
実行力がないくせに、自分の心の高尚さを基準にして他人を軽蔑する人がいる。
しかし、むやみに人を軽蔑する者は、かならず人からも軽蔑される。
お互いに不平を抱き、お互いに軽蔑しあい、ついには変わり者だと嘲笑され、世間から相手にされなくなる。
自分勝手な理想を基準にすれば、孤立無援のつらい状況に陥ってしまう。